2010年05月31日

都忘れ

事務所の敷地に咲いていた都忘れ・・・拝借しました~

都忘れ

紙コップだけど・・・奇麗だっしょ♪


今日はタイトルにも写真にも関係ない話を書きます・・・

昨日の何気ない友達の一言で思い出した事を昨晩ちょっとワードに書きとめました

それを貼り付けます。重い内容の長文になります

そういう気分でない方はここで戻ってください



昨日の敬老会で一緒にお手伝いに行っていた私と同い年のYさんとの会話です
Yさんのお姑さんは今年74歳で敬老会デビューでした。
でも現役で農作業をこなし車の運転もする元気なおばあちゃんです。
女性の参加者は皆さん持参のお菓子をくばり始めました。

Y「へ~!皆お菓子持ってくるんだ~」
私「そうだよ~、Yさんとこのおばあちゃんは車も運転するから全部自分で用意できるけど、
  うちなんか、持たせるお菓子から、着せてやる洋服から全部用意して参加させてたよ。
  (まだら呆けの頃まで、参加したいというので参加させてましたので)
  じゃ・・ってその分のお金を出す人でもなかったし・・それでも不幸だ~不幸だ~って言われてね・・・」
Y「それは病気だからしかたないよ・・」

痴呆介護している時、本当によく言われました「病気だからしかたがない」
それは間違っている言葉ではありません

私自身、それまで悪意すら感じる言動がはっきり医師から痴呆だと点数を付けられた時は
やっぱり病気のせいだったんだ・・と心がある意味軽くなった時はあります。

でも、自分の出勤前の忙しい朝、デイに行く為の着替えを拒否されたり、
夜中にオムツを外してパジャマの中にどっさり大便をされたり・・・
夜中に騒がれて眠れない日々とか・・
そんな修羅場の相手をしている間ですら(もちろんその時は責めてなんかいませんよ)
こんな役にたたない年寄なんか殺せばいいと言われたり、
自分は悪くない、あんたが、家族が悪いと責められる事もあるんです。

ここまでではなくとも小さな言葉の暴力や拒否も含めたら1日に何度もあるんですよ
こみ上げる感情をぐっと呑みこんで対応しても、事あるごとに不幸だ~と嘆かれる。

痴呆がでた私の母は私に仕事を辞めて24時間片時もはなれず、話し相手になり、
その時々の自分の要求・・痛いといえばさすってあげ、喉が渇いたと言えば水を出し・・
的な事が望みでした。でも子供達の学費がかさむ時期でとても叶えられる訳はなく
・・母にしてみれば時に私は憎い存在にもなり、自分ほど世の中で不幸な人はいない
という日々だったんです


介護者は病気だと思って、とんでもない理不尽な要求やら仕打ちにも必死に耐えて、
たまには耐えきれなくなり、怒っても仕方のない相手に怒り、その事で逆に落ち込んだり・・
日々一杯一杯がんばっているんです。

でも介護者だって生身の人間です・・・誰かに愚痴りたくもなります。
でも、排泄の失敗等を愚痴る訳ではないのですよ、そんな事は仕方のない事だと思えますから
良かれと思って言う事もした事も素直にはいとは聞いてくれない、喜ぶどころか嘆かれる・・
時には暴力に訴えられる事を愚痴ってしまうんです

私にはその時の「それは病気だからしかたがない」の一言は残酷でした。

言う方は私への思いやりも含めて言ってくれているのだと思います
まして外から見るだけでは同居介護の全容まではわかりませんしね・・
外の人になんか『全くわがままな娘で・・・私なんか小さくなってます!』なんて言ってくれてましたから(苦笑)

私が未熟な人間だからでしょうが「病気なんだから受け止めきれないあなたが未熟
まして実母の事を悪く言うなんて・・」と、心にとどめを刺される感じでした。

もちろん要介護者が皆うちの母と同じではないですし、もっと大変な方や
逆に癒し系な痴呆の方もいらっしゃいます。
被介護も介護者も様々ですからすべての人に当てはまる事ではないでしょうが、
その言葉が辛い介護者もいるかもしれないという事を
少し気持ちの隅に停めて頂けるとちょっと救われる人もいるかもなぁ・・と思い書かせていただきました。

その他今の介護は金銭的負担もすごいです・・・
課税同居家族がいるだけでオムツ代の補助すら受けられない場合が多いんです。
そして精神的には義理の関係より実の関係が楽という事もない場面が多いです。
まだ施設入居へ罪悪感のようなものもある事も・・・

そのへんのお話は機会があればまた・・・


あっ!でもね・・・そういう経験って過ぎてしまえばマイナスばかりではないんですよ・・

ワカメが先日、認知症で入院によるせん妄も強く意思疎通も難しい(問いかけにも答えようとしない)
患者さんを受け持ったそうです
拒否も強くて車いすから降りて歩行訓練まで導く事がまず困難だったそうです
主介護者の方も高齢な旦那さんで、このまま寝た切りになった方が介護も楽かもとの迷いもあり
周りのスタッフさんも難しいだろうという所見だったらしいのですが
数日かけて手つなぎ歩行まで出来るようになったそうです。
それも『歩けそうかい?』『歩けそうだよ』っていう会話もできるようになったそうです。
ワカメには母と過ごした日々が思わぬ財産(もちろん当時の彼女はしんどい以外の何ものでもなかったのよ~)
になっていたようです
たぶんカツオやタラちゃんにも同じようなものがあると思います。

私はまだ思い出すと愚痴が出ちゃう経験だけどね~~
でっかい気持ちになるまではもう少し時間がかかりそう・・・


長文失礼しました

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。


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Posted by はあと♪ at 12:23│Comments(5)重い話
∴ この記事へのコメント
大変な苦労(と言っていいのか)されたんですね。
体験しなければ誰も本当の辛さや苦しみはわからないでしょう。
でもそんな体験を時々発信して下さい。
私も一人っ子で両親にとっては私が頼り。
「お前に迷惑はかけない」なんて言いますが。
できれば自分達が建てた家で過ごしたいだろうと在宅で診てあげたいと思ってます。
周りは無理といいますがせめてもの親不孝の償いがしたいんです。
今は私より元気ですがいずれは避けて通れない道。
今日のお話はとても参考というか覚悟への一歩になりました。
Posted by あね at 2010年05月31日 17:26
こんばんは。

初めまして・・
突然書かせて戴きますことお許しください、

介護の問題の奥深さは、その家族家族に於いて、総て介護のケースが違うと言う事だと思います、
介護されていらっしゃる人に何でも慰めの言葉を掛ければいいと思っているような世の中の風潮には(勿論善意の気持ちからだとは判っています)拘りもあります、
でもそういっている人達もイザ自分の身に介護の問題が関わってきた時、
その問題の大きさに立ちすくんでしまうのも事実だと思います、

私もその内の一人でした、
母親を7年間介護し、亡くなってもう大分経つのに、いまでも(あの時こうしてあげたら)とか(あんな言葉を言わなければよかった)とか思ったりします、大変な事も沢山ありました、はあとさんが書かれているような事もありました、人間の尊厳とはその自身において自分を自身と認識できるか?
なら痴呆になって自身を正常に認識できなくなった個体は人間としての価値があるのか・・・
悩みに悩み・・・自分自身の存在まで疑う始末でした、
心の中では(どんな事があっても親であり一人の人間)そう思う反面(あの優しかった母の面影がこのままでは総て消えてしまう早く楽にしてあげたい・・)その葛藤はすざましいものでした、

でも今も思い出すこの事は私に於けるもので、はあとさんに私のこの介護の総てをお聴き戴いても総てが理解できるものでもないと思っています、
その反対に私がはあとさんの介護の総てをお聴かせ戴いても総てを理解できるものだとも思っていません、
それはどこの家族のケースでも言えることだと思ったりします、

言えることは・・・
その大変さに共鳴し、過ぎていった(あの暮らし)を私達はベストは尽くせなかったとしてもベターを尽くして親を看取ったと言う事・・・

誰に誉められる事がなくてもその事だけは私達の歴史のなかの事実です、決して忘れる事のない事実です、

語彙があまりない私の知識の中ではあとさんにお掛けさせて戴くとしたら
(お疲れ様でした・・)その言葉のなかに私の胸の中の総てを込めさせて戴きます。

また機会がありましたらお話しさせてください。

ありがとうございました。
Posted by 君住む街の茜雲 at 2010年05月31日 20:43
あねさん

私の母は性格的にたぶん介護しずらいほうだったと思う
母は最期1年半は施設だったけど、入居者さんとも和やかな関係は築けなかったけどスタッフさん皆の腕に噛みついた歯痕を残した人だったからね・・・
だからあねさんのご両親がどうかは(実際私の父だって83歳で亡くなったけど痴呆にならなかったしすごくいい最期だったしね)全く予想なんかつかないわけだから覚悟なんかいらないと思うよ

痴呆があるなしは別として、何かしらの介護が必要になった時、あまりたいそうな覚悟をしないでできる事をあまり無理をしないようにしたほうがいいと思います

そして自宅での介護を望むなら、同居の家族にもそれなりの負担を強いている事をその都度理解したあげてね

家の母は温厚で一生懸命母を大切にしようと思ってくれていた夫にも心ない発言をするようになりました・・・はたで見ていても夫が母は病気だからと握りこぶしを震わせて耐えているのがわかりました。必ずしも関連があるとは言えませんが夫が13年もたってから癌を再発したのはその頃です。

私は実はもっと早くに施設に入れたかったんです。当時の要介護2では本人の拒否も半端でなかったですし、母の年金は月2万5千円しかない人で、それなりの入居費で入れる特老は待機者が多く、まして同居の家族がいて介護度が低くては順番が回ってくる訳がない状態・・・・
比較的入居しやすい所は安くとも月12万位はかかるんです
大学生1人、高校、中学・・・更に月10万の支出にはとても踏み出せず
にいました。

でも要介護5になりとても一人の時間が無理になり、私ばかりでなくもう夫も子供も精神的に壊れる寸前で月10万の支出の決心をしたんです

もう少し特老に移るタイミングが遅ければ介護の為の借金をしなければならないところでしたけど・・・

介護は100家族100様・・でも介護する際の最終的な一番はまさおさんと王子様、そしてあねさん本人だという事を根底にね・・・これが私が言える唯一のアドバイスです。


君住む街の茜雲さん

コメントありがとうございます。
本当に介護はその家族家族で思いも、辛い部分も、救われる部分も違うと思います。茜雲さんのおっしゃることとてもよくわかります。

私の場合茜雲さんのように「あの優しかった母が・・」という思いより幼いころから甘えた、褒められた記憶はあまり浮かばず叱られた叩かれた記憶のほうが沢山よみがえる環境で、最後まで母に褒めてもらいたい関わりだったようにも思えるのですよ
だから、たぶん普通の母子ではもたない嫌悪感に襲われる事もありましたから・・・
だから母に実際ひどい言葉を言ってしまった事もあります。

でもこんな私でもベターを尽くした感はあります・・・それを最期まで否定された焦燥感もありますが・・・これは私が年を重ねる中で私が母の気持ちに寄り添っていくしかないんだと思っています。

ただ、善意で言っているだろう言葉も状況によってはすごく残酷な言葉になる場合もあるんだという事を伝えたかったんです。

状況はちがっても、精一杯その時を過ごしてきた思いは一緒です。茜雲さんも本当にお疲れ様でした。
Posted by はあと♪ at 2010年05月31日 22:05
自分の両親も、いずれ介護が必要な時が来ると思います


はあとさんの、介護の大変さや、なんといったら、いいのかも、わかりませんが、はあとさん家族は、出来る事を精一杯されたと、思います


亡くなった95歳の祖父も、最初の入院は、私が、第三子のお産と、重なり本当に、大変だったといいます

亡くなる、三ヶ月位前から大変になりましたが、祖父は、日曜日皆が居る時に、亡くなりました

はあとさんは、何年もですから、言葉では、言えないご苦労が、多々あったでしょう

私も、言葉には、気をつけていかなくてはと、思いました
Posted by ゆきんこ at 2010年05月31日 22:40
ゆきんこさん

どうもありがとう
逃げる事が出来ない事だったからただ日々必死に過ごしてきただけなんだけどね
その時の大変さはだんだん忘れてきたし(笑)
でも今でもそういう話をした時に『それは病気なんだから・・』とか『親の世話ができるという事は幸せな事』とか一言であっさり言われてしまうとがっくりしちゃうんです・・・
修羅場の当時は泣きたい気持でしたし・・・

そいういう言葉で悲しい思いをする人も中にはいるんだという事が経験のない方の心の隅にでも残ればありがたいです
Posted by はあと♪はあと♪ at 2010年06月01日 09:49
 
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